「教えるということ」大村 はま を読んで

多分、以前にも読んだことがあると思うけれど。
専門職としての教師を再考するうえで、もう一度考えなくてはいけないと思ったので。

「教えるということ」著者 大村 はま

「研究」をしない教師は、「先生」ではないと思います。
かならず、教材は新しく発掘して使います。
今までやった方法ででもよかったら、すぐにでもやれます。けれども、それでは老いてしまうと思います。
「学校」は学習するところです。「家庭」は学校の勉強をするところではありません。「生活の場所」です。

一番進んだ人をつくるためにあるはずの学校が一番遅れてしまった。

うまくいかない責任は自分で取るべきであって、相手が勉強しないなどと、そんなことを言えるものではありません。
相手の責任にできる職業なんて他にはないのです。

教師は専門家ですから、やっぱり生徒に力をつけなかればだめです。こうした世の中を生き抜く力が、優劣に応じて
それぞれにつかなければならないと思います。

子どもに確実な力をつけて、責任を全部自分にとってゆくことができる人こそ教師である。

子どもは常に一人ひとりを見るべきであって、それ以外は見るべきでない、束にして見るべきものではない。

教師はやはり子どもを尊敬することがたいせつです。

素人ではとうてい手に負えないような子どもをひきつけて、話を聞かせる。=専門職である教師

いろんな子どもをそれぞれ、その子なりに次の時代の建設に役立つ人にする。=教師の仕事

一生懸命教えてやれば子どもはできるようになるなんて思ったら、よほど甘いと思います。

単元学習=力のある子どもが、力いっぱいできる。できない子どもが、できないことを気にしない
本当に思い面白いことを、一生懸命やっている、その心の中に、人と比べる隙間はない。